日本共産党 田村智子
コラム

【08.09.04】観ました「最後の早慶戦」

学徒出陣への静かで強烈な怒り

「ラストゲーム 最後の早慶戦」――どうしても観たい映画でした。
政局激変のときだけに、タイミングを逃すものかと、日程が空いた今日、有楽町に出かけました。

「観て良かった」――それが最初にわいてきた感慨。
学生だったわが身に照らしたり、母親としてのわが身に照らしたり、
日本という国で青春を送った一人、という思いに照らしたり…。
こみあげる、いくつもの共感がありました。

早稲田大学で4年間を送りながら、野球の早慶戦の応援は一度だけ。
実は、ラグビーの試合観戦の方が面白かったというのが、当時の感想でした。
(ラグビーの堀越選手・今泉選手が1年生で活躍した頃だったのです。)

映画を観ながら、学生時代にこの映画を観ていたら…と、思わずにはいられませんでした。
私たちには、半分以上「お祭り騒ぎ」になっていた早慶戦。
どんな歴史を持っていたかなんて、考えたこともありませんでした。

私は勿体ない学生時代を送ってしまったかもしれません。
偏差値時代の学生の一人、なぜ早稲田大学に入学しようと思ったのか、何を学びたかったのか、それが曖昧模糊としたまま入学し、キャンパスに通っていましたから。

学生の徴兵猶予が廃止され、学徒出陣につきすすむ、その時まで、
早稲田大学野球部が戸塚グランドで練習を続けるシーン。
グランドの大半は軍事教練で使用されてもなお、キャッチボールを続けた野球部。
「反戦」の主張ではなかったでしょう。
それでも「抵抗」の姿勢を感じずにはいられませんでした。

負けが見えている戦争に、なぜ未来ある若者を駆り出すのか、
声にできない「抵抗」の精神は、きっと多くの教育者のなかにあったはずです。

台詞のなかには、戦争に批判的であったために、何人もの教授が研究室を閉鎖させられた、というものがありました。
不勉強で、これも私が知らない歴史でした。

知りたい、学びたいと思っています。
私につながるいくつもの民衆の歴史を。

早慶戦の最後は、慶応義塾の校歌、早稲田大学の校歌の大合唱シーンでした。
パンフレットを読むと、実際にはその後、「海ゆかば」が期せずして歌われたそうです。
しかし、神山征二郎監督は、天皇のために命をささげるという歌詞をもつこの歌を拒否。
戦争の本質は国民犠牲、「名誉の戦死」でも「美談」でもない――監督の立場が鮮明に見えてきます。

エンディングテーマが流れても、席を立つ人はいませんでした。
私も「観て良かった」の思いにひたって、スクリーンを見つめていると、
「協力」のところに、上田市、小諸市の地名が流れました。

一瞬でしたが、山を背景にした田舎の情景が映り、
「浅間山に似ているぞ」と思ったのは、その通りだったようです。
パンフレットには、戸塚球場は上田市の球場がロケ地だったとか。
こんなところにも、この映画と自分のつながりを強烈に感じました。

今夜は実家に電話して、この映画のことを父母に話そうと思います。